介護保険制度が改正され、2006年4月から全面施行されました。
介護を社会で支えるという基盤は整ったものの、制度ではカバーできない問題も少なくなく、介護サービスの利用者や家族のニーズが汲み取られていない実情も感じます。
行政、介護を担う家族、在宅・医療機関・施設の現場で働く関係者、そして地域の住民やボランティアなどのインフォーマルな力が、ひとつの輪となって介護を支える社会をつくるために――。
このコーナーでは、「これからの介護」をみなさんとともに考えていきたいと思います。 |
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近年、高齢者の介護にまつわる事件報道を目にする機会が増えました。しかし、新聞やテレビで一般の人に伝えられる報道はその大略で、事件が起きた背景や事件に関わった人物に対して詳しく報じられません。「介護」「高齢者」という言葉のもつイメージによって、その事件の背景を察する人もいるでしょう。
しかし、報道されていない事実を知ることで、その事件を別の角度から考えることができます。
このシリーズでは、数々の介護事件の現場を取材し続けているジャーナリスト、小山朝子が事件報道の「さらに向こう側」にある事実を独自の視点で検証します。 |
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去る3月20日、実母を殺害したとして嘱託殺人罪に問われた川部幸美被告(44歳)の初公判が東京地方裁判所で行われました。
川部被告は今年1月19日午後11時頃、母親ツユ子さん(71歳)の殺害を決意し、頸部にタオルを強く巻きつける行為に及んだものの、母親が息を吹き返し、殺害に至らなかったため、さらにタオルを口腔内につめ、タオルの残部で鼻腔部を閉鎖して窒息死させました。
犯行後、川部被告は自殺するために隅田川に飛び込もうとも考えましたが実行できず、横浜で海を見てからどうするか決めようと思い、東京都江東区の自宅から横浜まで歩きました。
母親のツユ子さんは海が好きで、被告とは3回くらい一緒に横浜に訪れたことがあり、思い出深い場所だったといいます。
被告人質問で川部被告は「自分で(自分の身を)処置できると思った。でも自分の命を絶つことができないんですよ……」とそのときの心境を語っていました。川部被告は20日午後9時10分頃、横浜駅東口の交番に出頭し、自首しました。
起訴状をよみあげる検察官の声を聞いていた川部被告は、証言台に立つと、はっきりとした口調で検察官や弁護人の質問に答えていました。穏やかで落ち着いた感じを受けましたが、私には、検察官の質問に「ですから」と半ば怒ったように切り返す一面も印象に残っています。
川部被告は、これまでどのような人生を歩んできたのでしょうか。
昭和36年広島県で生まれた川部被告は高校を中退し、19歳の頃に家出をします。その後、寿司屋の店員や会社員、パチンコ店の店員などさまざまな職を転々としてきました。
元内妻の証言によると、川部被告は「父親が酒乱で逃げてきた(家出をした)」と話していたそうです。
ちなみに、母親のツユ子さんは昭和9年に出生、結婚後は二子をもうけています。
川部被告は28歳で上京後、ツユ子さんを呼び寄せて一緒に暮らしています。
川部被告の証言によると、ツユ子さんは川部被告との東京での生活について、「(川部被告の)父は酒乱で生活費をいれてくれなかった。いなかで暮らしているよりは楽しかったよ」と語っていたといいます。 |
初公判を傍聴し、私には被告人のふたつの横顔が見えてきました。ひとつは人一倍母親思いの息子であったということ。
それは周囲の証言からも伺えます。被告人と母親が暮らしていたアパートの管理人は「親思いの優しい人」と話しており、かつて被告人と被告人の母親と三人で同じパチンコ店で働いていたこともあったというに元内妻は「あれほど好きだったお母さんを殺したことに驚いている」と証言しています。
さらに公判では、被告人が母親を殺害後に脈を診て、姿勢を整え、手に数珠を通すという行為を行っていたことも明らかにされています。
そのような母親想いの一面がある一方、被告人には無職で働かずにいるなまけ癖がありました。長年働いていたパチンコ店が閉鎖されることになって職を失ってから「なにもかにもやけくそになり、投げやりな気持ちになった」(被告の証言)と述べています。
それからは一週間に一度の割合で万引きをして生活をしのいでいたといいます。 万引きをした店の警備員によって行為が発覚したこともありましたが、「警備員や店員などのアルバイトの面接にも出向いたものの前職がパチンコ店店員ということもあって採用されず、またズルズルと続けてしまった」(川部被告)といいます。
公判では川部被告がパチンコの資金を消費者金融から借りていた経緯も明らかにされ、債務は300万円以上に上っていたといいます。やがて電気やガスの供給もとめられ、家賃も滞納する状態だったようです。
殺害当日、母親が体調不良で倒れたときに救急車を呼ぼうとしなかったのかとの検察官の質問には「居留守がばれちゃうのではないかと思った。頭の中がパニックで、なんとかしなくちゃいけないという気持ちはありました」(川部被告)と証言していました。
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