介護保険制度が改正され、2006年4月から全面施行されました。
介護を社会で支えるという基盤は整ったものの、制度ではカバーできない問題も少なくなく、介護サービスの利用者や家族のニーズが汲み取られていない実情も感じます。
行政、介護を担う家族、在宅・医療機関・施設の現場で働く関係者、そして地域の住民やボランティアなどのインフォーマルな力が、ひとつの輪となって介護を支える社会をつくるために――。
このコーナーでは、「これからの介護」をみなさんとともに考えていきたいと思います。 |
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近年、高齢者の介護にまつわる事件報道を目にする機会が増えました。しかし、新聞やテレビで一般の人に伝えられる報道はその大略で、事件が起きた背景や事件に関わった人物に対して詳しく報じられません。「介護」「高齢者」という言葉のもつイメージによって、その事件の背景を察する人もいるでしょう。
しかし、報道されていない事実を知ることで、その事件を別の角度から考えることができます。
このシリーズでは、数々の介護事件の現場を取材し続けているジャーナリスト、小山朝子が事件報道の「さらに向こう側」にある事実を独自の視点で検証します。 |
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多くの新聞などでは、「母親が認知症で介護に疲れ、そのため仕事に就けないと将来を悲観した」と報じています。しかし、初公判を傍聴する限り、私は「介護疲れ」が真実であったのか疑問に感じました。
被告人の母親ツユ子さんは平成17年12月20日、平成18年1月5日、平成18年1月19日(事件当日)と体調不良を訴えます。
しかし、平成18年1月5日にめまいや吐き気を訴えたときは、10分くらい横になると回復したといいます。
初公判では、検死の結果、死因は鼻腔部閉鎖による窒息死の可能性が高いとされました。執刀医によると、母親ツユ子さんには狭心症(心臓部に締めつけられるような一過性の痛みを主症状とする病気)であることが認められたものの、生命に危険を及ぼすレベルではなかったといいます。
また、初公判ではツユ子さんが認知症であったということはまったく触れられませんでした。
起訴状では、母親の殺害に及んだ動機として、この先寝たきりになったときに面倒が見れず、さらに(経済的理由で)入院もできず被害者の殺害を決意したことが触れられており、少なくとも殺害に及ぶまでの川部被告の母親の身体レベルは重度の介護は必要としない状態であったとも考えられます。
検察官と川部被告との以下のようなやりとりをしています。
検察官 |
「まだ始まってもないうちから、寝たきりになってからのことを考えて殺害したというのは白状ではないですか?」 |
川部被告 |
「現実の生活から逃げだしたかった」 |
検察官 |
「今回の事件は誰がまねいたものですか?」 |
川部被告 |
「自分自身です……」 |
母親の病状が生命に危険を及ぼすレベルではなかったという執刀医の意見から考えれば、医療機関で必要な処置を行えばツユ子さんの病状は回復したかもしれません。
今回の事件は、債務があるにも関わらず、働くことをせず、万引きをすることでその日暮らしを続けてきた川部被告の意識の問題によるところが大きいといわざるを得ません。
40代という年齢と都市部に住居があったという事情を考えれば、なんらかの職に就くこともできたのではないかと考えます。
母親からすれば酒乱の夫から離れ、優しい息子のそばで生活が続けられてきたことは、ある意味、幸せであったかもしれません。
しかし、子供が継続的に老親の世話をしていこうと考えた場合、親に十分な蓄えがある場合はともかく、現実的にはその「思い」だけでは難しいと言わざるをえません。
介護と育児は異なるものですが、両者とも、まずは自分が生活していけるだけの基盤がなければ継続的に行っていくことはできません。「どうしても」という思いがあるならば、生活保護を受け、介護扶助を受けながら被告人が職を探すという選択もあったでしょう。 |
4月に入り介護保険法の改正が施行され、介護が必要となる状態に陥らないようにするための新予防給付が始まります。
しかし、それ以前に、介護保険制度の内容がわからず、要介護認定の未申請者がいるという現状があるということもまた事実です。
新設される地域包括支援センターにこうした問題の解決を期待することができるのでしょうか。
ちなみにこの3月に山梨県韮崎市で自宅放火により娘が母親を殺害した事件、さらに昨年3月に埼玉県富士見市で認知症姉妹が被害にあったリフォーム詐欺事件などにおいても、いずれも介護保険制度によるサービスを受けておらず、高齢者やその家族だけの密室性のなかにおいて生じたケースです。
同事件の判決はまだ下っていません。
「自分の息子に殺される(母は)無念だったと思います。(母は)天寿を全うしたかったと思っている。平伏して謝り続けたいと思う。これからはなにふりかまわず働いて、借金も少しずつ自分の力で返していきたい」
人一倍母親想いだった息子、川部被告は、公判中、泣きながらこう語っていました。 |
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